昨日注文したadobe Premiere Elements 14 動画編集ソフトが届いたのでインストールした。
間髪を容れず動画を作成した。これは、動画ではなく静止画像だけで作ったものである。
ポーランドに行ってきたこともあり、テーマはフォロコーストとして、私が巡った世界各地のゲットーやフォロコースト関係のモニューメントを織り交ぜながら、主にアウシュヴィッツにした。
8分という長い動画で、あえて音楽も入っていないので、なんらかの形でyou tubuから訪れた人が最後まで見てくれるとは思わない。
フォロコースト動画
ポーランド旅行
ポーランド旅行詳細
外国旅行ではホテル、通信、トイレ、食事、安全性、交通などの環境が気になる。
ホテルは一箇所除いて、日本のビジネスホテル以上の広さと清潔感があった。特にどこも朝食はバイキングで飲料、果実、パンとも豊富で充分満足でいただき、チップも置いていくのに当然の感があった。
通信環境はどのホテルも客室でもwifiは無料で弱いながらも通信ができた。ヨーロッパでもホテルの公共場所で使用可能は多いが、客室はできないところがある。私はオフラインの地図を持っているので、どこを歩いても現在地が明示されるので重宝している。
トイレは一部の観光地でズルチ単位で徴収されたが、他は無料で利用できた。一回もシャワートイレに当たらずスッキリ感は今一歩だった。場所は観光地でも困らないほどあった。
食事はホテルの朝食が楽しみなほど品揃えがよく満足感味わった。昼夜はレストランかホテルだが、メインが少量の肉あるいは魚だったが、どこでもジャガイモを擦ったもので、量も多くあまり食べなかった。スープはごった煮で量が多くそれだけで腹がいっぱいになるほどの量であった。チョコレートとドライフルーツが美味しく自給率250%の農業国であった。
安全性はイタリアみたいなスリも見当たらず、被害らしき兆候は誰も感じなかったと言っていた。移民問題が焦点だったが、駅の構内を乗り越えて列車に乗り込もうとする人がまとめて7?8人くらいいただけで集団はどの地域でも見かけなかった。
車は横断するときにゆっくりと待ってくれ、日本よりも歩行者優先思想が強かった。これは、どこのヨーロッパ諸国でも見られるが、特にその点は優秀さを感じた。列車は3時間ほど乗車したが、スペインの特急列車並みの時刻通りの発着であった。
田舎に行くほど風力発電が多く稼働しており、日本とは大きく違っていた。景色もトルコのような地平線とは言えないが広い平原が続いており、坂道も少なく標高差が少ない国というイメージであった。
フランスも多いが宿り木がやたら目についた。冬で葉が枯れているので、宿り木の青黒さが目立っていた。終わりです。読まれた方にはお疲れさまでした。
ポーランド旅行記詳細
カナダバンクーバー旅行 2014/09/26~10/08
カナダ・バンクーバー旅行で受けた印象をまとめてみた。
私はカナダには現職時代、アラスカ含めて数回行っている。その時に、バンクーバーの雰囲気を見て移住するならカナダが良いと思っていた。その思いがあったので女房との個人旅行は楽しみだった。
バンクーバーの道路は車と歩道とも広く、交通は合理的な面が多く、人には優しい仕組みができており、安全度が高いと思った。
危険を感じたことはなく、安心して散策ができた。アメリカみたいにパトカーのサイレンも殆ど聞かなかった。まずは合格。
続きはバンクーバー旅行の詳細
台湾旅行 2014/05/20~23
台湾4日間(行きは21時発、帰りは03時発なので実質観光は2日)の費用は燃費込みで16800円に帰ってきてからも安すぎると思っている。わたしはいつも安さ狙いの海外旅行だが、これだけベターな価値があるのは珍しい。
飛行機はLCCでサービスは全て有料だが当然だと思う。前後の幅が多少狭いが、許容できる範囲である。ホテルは日本の一泊1万円以上する広さがあり、清潔感や設備も不満ないレベルであった。おまけにバイキング朝食がついている。空港からホテルまでの送迎は各ツアー客の混載だが、連れて行ってくれる。続きは台湾旅行詳細
イタリア旅行 2014/01/13~20
イタリア観光は、燃費込み、全食事付きなのに13万円と安かったので、同じ時期に予約していた観光をキャンセルして行ってきた。
イタリヤ北部とローマ及びバチカン市国だけだが、実質たった5日間では超有名なところを一時間ほどでみるだけなので、蟻がゾウの一部を触ったに等しい。今回が4度目のイタリアで、見るところはほとんど同じだがその雑感である。
イタリア旅行の続きはこちら
インド旅行記 2013/06
初めて見る生活、交通事情、貧困、インフラの未整備、ホテルの未設備、街のトイレを垣間経験して、インドはカオス(混沌)であった。
あれだけカオスと貧困の中で必死に生きる姿を見ると、日本でのぬるま湯生活は、なんらかの動転時に将来生き残っていけるのだろうかと心配になった。
インド旅行記の詳細はこちら
スペイン観光 2013/01/8-14
あなたのスペインイメージは?闘牛、フラメンコ、トレド、不景気など
スペインの実感は、ホテルはどこも無料wifiが使え、他のヨーロッパ諸国と比較して通信環境が良く満足であった。
日本の人口の40%なのに道路はどこも広く、渋滞もなくゆったりしていた。スペインというと音楽が浮かぶが、大きな公園や広場には必ずミュージシャンがいたり地下鉄車内にも女性の歌手が唄っており、民族と音楽が一体となってオーレを楽しんでいた。
また、仮装のパフォーマーも多く、歩行中に愉快さと笑いを満喫できた。
スペインはPDFで詳細
中欧五カ国 2012/01/31-02/08
ハンガリー フォロコースト記念館 ドイツ フォロコースト祈念碑
厳冬の中央ヨーロッパ5カ国を2月の初旬に行ってきた。まわったのは、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリーであった。
特に印象の強かったのは、ハンガリーのブダベスト周辺がよかった。
ブダベストでは、ホロコーストミュージアム、夜間のドナウ川クルーズが忘れられない。
中欧五カ国の詳細をYoutubeで動画
ロシア旅行 2011/03/31-04/05
ロシア6日目 モスクワからの帰途で一日を取られる。機内食は他の航空会社よりもシンプルではあったがおいしいものだった。私はアルコールは飲まないが、機内でのアルコールは有料で、ほとんどの人が注文をせず、ソフトドリンクで過ごしていた。
ロシアは世界で初めて社会主義国を作り、今でも政党で共産党が一番多い国である。社会主義国家としての中国は10回以上、ベトナムも2回訪れている。日本での革新運動に力をいれた若い頃から、ロシアの社会性は興味があったので、数年前から旅行価格を気にしていたが、今回安かったので喜んで出かけた。
社会性は暗いイメージを持っていたが、中国ほど規制は少なく、人々は明るく、気楽に接することが出来た。バスや地下鉄も無数に走り、地下鉄路線案内では日本や韓国に劣るが、切符の買い方も距離制ではなく回数制なので、フランスなどより簡単であった。Wi-fiなどの通信手段も、パスワードの入力なしで気楽に使用できるなど進んでいた。現地ガイドの女性は、北方四島はロシアの土地であることを力説していたのには、さもあらんと思った。
接したロシア人は、誰も親切で聞くとトイレなどは連れていってくれる人もいた。地下鉄で方向確認を聴いても、丁寧に教えてくれるなど、外国人かぶれはあまりない印象を受けた。ただ、地図の読み方を知らない人も多く、数人で間違いを教えてもらったが、警官は正確であった。
簡単な英語を全く理解しない人が多いが、ボデイランゲージはこの国でも有効であった。今回の旅行で東方正教をかいま見て、残るはヒンズー教だけになった。次回はインドのヒンズー教を勉強に行きたい。
ロシア旅行 2011/03/31-04/05
ロシア5日目 最後は16時までの自由行動である。ホテルが市内からは遠い距離にあるので、誰でもが自由行動の過ごし方を模索していたが、結局添乗員のあとに付いて行ったひとがほとんどであった。私は外国での自由時間はレンタカーや乗り物で移動し目的地をいつも独力で行く。今回はロシアということもあり、事前に地下鉄路線図、乗り方、見学場所を相当の時間を割いて準備した。
それでも心配で、前日の夜にバスの乗り方や切符の買い方など下見調査した。添乗員も心配なのであろう、翌日行くところの下見に出かけた。英語のできる彼も「10人以上も初めて連れていくので下見をしないと不安だ」と言っていた。ひとり参加の大学生もバスの乗り方などを下見していた。
バスや地下鉄を乗り継いで、クレムリン近辺や骨董店が並ぶと言われたアルバート通りなどを、何人ものロシア人に行き先の確認を求めながら、当初の予定通り回ることが出来た。アルバート通りに行く途中で、俺らしくなく簡単な道を間違えて、目的地より離れてしまった。マックに入って昼飯を食べながら、wi-fiが使えたので、iphonの地図及び磁石で現在地と目的地を確認でき、放射道路を環状道路に切り替え、一時間のロスで難なくたどり着いた。
添乗員が連れているメンバーとも途中で会ったりしたが、それだけモスクワは、他の外国と違って一般観光客がみる場所が少ないと言える。
バスはどこまででも25ルーブル、地下鉄も28ルーブルだった。
地下鉄はクレムリンを中心として環状線と放射線が8本もあった。乗降客は世界で2番目らしいが、通勤時間に乗ったために、超満員であった。深度が深くスピードのあるエスカレーターの乗り口が、ネックになって長い渋滞だった。地下なのにステンドグラスで綺麗な駅もあったが、撮影禁止と注意されていたので、逮捕されるのを警戒して写真を隠し撮りしたが、とれた写真は廃棄対象だった。
タクシーは観光地にはあったが、街の中では殆ど見かけないほど少なかったのにはなぜだろう?