Facebookはいくつかのグループに参加している。
そのうちの一つに地元の話題を投稿する「Facebook飯能会」があり、管理人から投稿した私の写真をカバー写真として使いたいの要請があり、快く了解した。
この写真はスマホで撮ったもので、自分では良いと思っている。しかし、たいした写真とは思えないので、どうしてかが疑問として残る。
道祖神と祠
路傍の祠とお地蔵さま
なぜかカメラに手が行ってしまう
私は思想的には違いますが、若い頃から神社仏閣の建物や環境が好みです。
だから、散歩中に見つけるこういったミニ稲荷にも、カメラを向けたくなります。
ちょっと加工をしてあります。

背景を透明化した植物
珍しく二宮尊徳像を見た

若い人は知らない人も多いと思いますが、飯能市内を散歩中に珍しく二宮尊徳像を見ました。
1950~60年代では、多くの小学校に、労働しながら学習する姿勢が尊ばれ二宮尊徳像が鎮座されていました。
70年代に入ると、「本を読みながら道路を歩くと交通安全上問題がある」ということで、撤去されるようになり、現在ではほとんど見られなくなりました。また、修身や教育勅語でも使われたこともあり、教育界や国民から敬遠されているらしいです。
一眼レフカメラともお別れ
写真の題材に悩む
最近わたしは、カメラを一眼レフからスマホでGalaxy Note10+のトリプルカメラに移行しているが、撮影の題材を何にするか悩んでいる。
趣味や旅行の記録などを撮影する方は別として、一般的に多いのはあちこちに題材が転がっている景色、花、樹木などであろう。それらは私の場合、卓越した構図設定や機械的技術などの技量がないので、個性的にならず、平々凡々なただの写真に不満足や欲求不満を感じている。
そんなおり、街中で落としたりなくしたりの片手袋を題材に何千枚の写真を撮り、傾向分析や分類化してテレビで話題になった人を知った。これなどは誰でもが経験した人生の一現象を捉え、継続性を持たせた社会性のある題材であろう。
私も静物ではなく、なにか社会性や人物を題材にと思っているが、これは静物と違って非常にむずかしいのである。
毎朝の散歩時間に題材を探しているが、これといった社会性と継続性が保たれる題材はいまだに見つかっていない。写真はロダン